"東洋的な諦観は、しばしば、無気力な平和と混同されている。しかし、ぼくは、悟りというものは、そんなものじゃないと思うのです。すべての事に対して、<然り父よ>という聖なる委託と、すべての事を無気力に蹲ったまま甘んじて受けることとは、本質的に異なるはずです。「天国は暴力に襲はれ、暴力の者之を奪ふ」(マテオ十一の十二)と聖書にもあります。人間の自由というものは、何ものに対しても無防備な、開かれたものではない。むしろ言えば、人間そのものが自由だと考える方がより確からしいのです。もし人間が、自由を、金銭を持つような仕方で持っているとするなら、たとえば自由を用いることのできぬこのような処では、捨ててしまえばいい。しかし、もし自由が、カンドウ師の言われるように、善を選びとる力であるならば、それは逆に人間の中心に位して、内側から、人間を或る方向に向ける力ということになる。"
正田昭 「黙想ノート」
-
xingchariot liked this
-
pollyanna posted this